会社四季報は辞書
五月(片山晃) ·
四季報を「辞書」と例えて、ある程度慣れたらソラで言えるレベルを目指すべきという指摘が刺さった。 通読をいつまでも続けているようでは、自分のインプットや独自の仮説検証が足りていない証拠かもしれない。 知識の獲得で満足せず、四季報よりも深い情報を自分の中に持てているか、改めて自分の投資姿勢を問い直すきっかけになった。
それも和英辞典みたいな感じ。 四季報はすべて日本語で書いてあるので、「読む」ということだけなら誰でもできるけど、普通に生きていたらどの銘柄がどんな事業を営んでいて、その製品やサービスが社会のどこにどのように組み込まれているのかということをしっかり把握できるようにはなっていない。 なので、これを「読み解いていく」ことには相応の習熟が必要なのは認めるし、初心者がまずそこから始めることには非常に合理性があると思う。 問題は慣れてきた後で、私は英語のプロで英語で飯を食っていますという奴が、英文を読み書きする時にいちいち辞典を引いていたらなんやそれとなるのと同じように、ある程度相場に心血を注ぐようになれば四季報に書いてあることぐらいはソラで言えるようになるべきであって、その段階に至ってもまだ毎回四季報を通読していますみたいなのはどうなんだという感想は当然に持つ。 四季報がいい加減とまでは言わないものの、東洋経済新報社の記者は投資の専門家でもアナリストでもないのであって、しかも彼らの一人ひとりがカバーしている銘柄数の多さ、会社四季報というブランドが世間に負っている信頼性を鑑みれば、ディープなことや